全然4コマで書けない自分史

他者中心性と自己不透明性の時代

この最初の時期は今まででもっとも辛かった時間だろう。中学時代はずっと目立たない様にしていたし、高校に入ってからもう少し自分を出そうと試みるも続かず、高校2年生くらいから何においても自分軸というものがなかった。というより他者と比較した、反動形成のような自我を自分だと信じていた。この基本的に他者中心で確たる自己を持たない姿勢は社会人3年目まで引きずっていた。

否が応でも向き合わなければいけない自己

そんな状態では社会を渡っていく事など到底できなかった。そして社会人3年目の夏、職場へ行かなければならないのに体がいう事を聞かなくなり、退職した。

退職して2か月は社会に取り残されないように必死に自分の生きていく道を探し奔走した。しかしガソリンの枯渇したボロ車では、そう遠くまでは走れなかった。当時好きだったカメラをもって、フリーランスを目指すべく養成塾に足を運ぼうとしたが、自分の望む方向性に確固たる自信、根拠のない自信がなかった。

 

自分が自分で分からない

この時代の特徴として、少し自分という芽が出てきてもすぐに鉢に重い蓋をして、自分軸というものがぐにゃりと曲げられてしまう無力感を感じていた。

退職した会社の元先輩に、当時「人生で実現したいこと」を100個上げてみろ、という課題を課せられた。B5のメモ帳に書き始めるも、10数個で手が止まった。しかも、それを眺めながら、「自分が心からやりたいことではない」と結論した。「OOの国にいってXXの写真を撮る」だとか、そんな表層的な「願い」にしか見えなかった。それはどこかの誰かが語った「欲望」に過ぎなかった。

 

自己の再生期

退職後2か月して、無残にもこれまでの人生に惨敗した私は地元の実家に帰っていた。

自分の人生で何がいけなかったか

それは言ってしまえば、育てられた父親の影響が大きかったのだ。

私が実家に帰ってきた3年前、父は『表面的には』温かく迎えてくれたように思えた。しかし、それは徐々に瓦解していった。私の父には、様々な恐ろしい心理的な問題を抱えていたのである。

 

父親が抱えていた問題

それは私の人生の書ともいうべき一冊の本を手に取ったことから始まった。何も特別な本ではない。自転車で行ける近所の本屋でたまたま手に取った本だ。心理学的な面から神経症的人間の内面を明らかにしている本だ。つまり私の父はその『神経症』であった訳である。

一言で言うと、父は『愛情に飢えた心と、劣等感とを抑圧しながら生きている男』であった。抑圧するだけなら話は簡単だ。恐ろしいのは、心理学者ユングのいう、『投影』だった。『投影』とは、自分の中で抑圧した感情は、相手がそう思っているように感じる現象のことである。

例えば、父は子供の様に自分を愛して欲しいと、大人になっても思っており、親から与えられるような愛情を周囲の人や動物にまで求めている。しかし、本人はそのような欲求に蓋をしてしまっている。そうするとどうなるか。「愛して欲しい、大切にされたい」と周囲の人々が思っているかのように思えるのだ。確かにその気持ちが周囲の人の中でゼロではない。しかし、情緒の成熟した大人は、そのように思っていない。そんな精神的に自立した大人にまでも、「子供の愛情欲求」を持っているように父の目に移るのである。

そのような親や人間と関わったことのない人は、次のように思ったのではないか。

「大人でも純真な少年少女のような気持ちがあるのは良いことだし、周囲の大人のそういう無垢な心を満たしてあげようとするのは素晴らしいことなのでは?」

これについては断固として異議を死ぬまで唱える所存だ。というくらい上記の様に思った人は運がよかったのだ。そんな幸せな心を持てたことを神に感謝するべきだ。

そうではないのだ。父は周囲の「望んでいないこと」を「子供の様に求めていること」と勘違いし、父が思うように人々が動かなければ、父は「こんなに良い事をしてあげているのに」とか、「人の親切を踏みにじるのか」などと周囲に言葉と態度で非難を表すのである。これは物凄い非難のエネルギーであり、周囲の人は心穏やかに受け止められるような代物ではない。実際に経験しないと分からないが、とてつもなく「しんどい」のだ。言う事を聞いてあげないと、膨れて文句をいって親を非難する子供がそのまま大人として、私たちに非難の声をぶつけてくるのだ。たまったものではない。

潜在的な心理面の成長

実家で観察してきて父親の問題に気付いた時、同時に自分の問題に気が付いた。

それは、子供のような父のお守りをしていなければならないことへの「怒りの抑圧」であった。父が望むように、あるいはその延長で周囲の人に対し「良い顔」をしていなければいけない「不満の抑圧」だった。抑圧するとそれはどうなるか。先にも書いたが、投影だ。周囲の人が自分に対して、「怒り」や「不満」を持っていると感じていたのだ。だから「八方美人」でニコニコしていなければ不安になる。そんな状態で人と打ち解けられる訳がなかったのだ。大学時代、社会人時代を振り返るとこのことがグサリと胸を貫く。

この自分の問題点に気付き、改善していった結果、今の自分があると思う。

生き方の面での成長

心理的な面の成長ともう一つ、生き方の理解が今までと変わった。自己肯定感、根拠のない自信と言ってもいい。親戚のおじさんが一人で社長をしている会社に今もお世話になっている。そこでの仕事で社長から教わったことが成長につながった。

それは、たくさんあるが一つは「成功体験の積み重ね」だ。最初に任せられた仕事で、一つのコンピュータプログラムを書き上げた時に、痛感したことだ。一つでもこのように成功体験があれば、そこからもっとこんなことも自分はできそうだという気持ちが湧いてくる。そうやっていくつも目標を乗り越えていくうちに、どんどん自己肯定感は上がっていった気がしている。

 

他者の不完全性を俯瞰する自己

これが最も直近の自分である。これまでの間違った、暗く細い道からようやく余裕のある道に出てきた感覚だ。これも前述の親戚のおじさん(社長)から教わったことが起点かもしれない。

どういうことか。特に父親の不完全にも程がある人格を憎んだ時期があった。どうしても許せない、憤慨の気持ちでもあった。そんなときに相談したおじさんにこう言われた。「他者のあるがままをあるがままにしておきなさい。」僕はそれから父の愚行を、川が流れる様に、鳥がさえずるように自然現象として「眺めた」。批判をしない。自然の摂理、人間の心理法則にしたがった言動を取る一人の人間がそこには居た。

今はそういう視点が父以外にも持てる気がする。自分の価値観と経験を全く知らない、一生分かり合えないだろう人でも、それを静観できる。他者の価値観が私にとっては思慮に欠けるものでも気にならない。そんな風に思っている。