自分の中の内なる子ども、つまり弱く脆く傷つきやすい自分。その気づきと抱擁、癒しの歌だったのだ。その気づきの喜びが、癒しの力が微笑みであり、夕焼け空なのだ。それが「真っ赤な空」なのだ。
一人がふたつだったから 見られる怖さが生まれたよ
一人がふたつだったから 見つめる強さも生まれるよ
ただ一度の微笑みに こんなに勇気を貰うとは
一人で見た真っ赤な空 君もどこかで見ただろうか
そして大切な人へと繋がる。同じような脆さを抱えた大切な「君」がどうか、どうか自らを抱きしめてあげられますように。自分自身へ微笑みを向けられますように。この歌詞では、そんな祈りを込めたのではないか。
溜め息の訳を聞いてみても 自分のじゃないから解らない
ふたりがひとつだったなら 出会う日など来なかっただろう
そして、私とあなたがひとつになることが出来ないという悟り。あなたの苦しみは私の苦しみである、と言いたいのだけれども未熟さが故にその思いが届かない。
ふたりがひとつだったなら 別れの日など来ないだろう
この歌詞からはふたりが出会った時から別れるまで、相手の苦しみを自分事として「解る」ことが出来るほどにふたりは成熟しなかった、という哀しみを感じる。ふたりがひとつじゃないから、別れがあるのだと思う。