2021年まとめ

約5年、飴玉日記として雑記ブログをしたためてきたが、

こんな形でまとめの投稿をするのは初めてだ。

 

主に、自分自身の内面の成長記録としてこの記事を残しておきたいと思っている。

 

まず2021年で出発点となったことは、自分の無価値感を自認したことだった。当時、2年勤めた人生最初の仕事を辞めて故郷に帰り、働かなくなって1年半が経過していた。

 

まず本題の2021年をまとめる前に、2019~2020年にかけて簡単にまとめておく。仕事を辞め、何かから目を背ける口実の様に大阪に2カ月残り、結果、今思えば雲をつかむような夢語りに陶酔していた自分に失望した。

 

だがその2カ月が何の偶然かしら、その後今に至るまでにそれまでのぐらついた自意識を説明するきっかけとなったことも事実である。それから帰郷したのち1年余り、瞑想の実践や、心理学、哲学を通して自分という存在の朧げな輪郭を掴めてきた気がしている。

 

さて話を本題に戻す。

先に自分の無価値感を自認したことが自己の内面の深化において、2021年に契機となった出来事だったと書いた。具体的には、現代社会で金を稼ぎながら生活する能力が今の私にはないという気付きであった。その後どのように自分の内面が展開していったか。

 

この気付きの次のステップは、「誤認」であった。つまり、弱みは依存心であり存在さえ認めてはならないという、誤った無意識の自己暗示に囚われていたことに気付いたのである。これは瞑想と心理学が両輪を為して気付かせてくれた。

 

そこからは日常生活における出来事と、その知覚を、自分のうちによく観察していった。そのような誤認の檻に知らぬ間に取り囲まれないように注意した。そうした試みにより、徐々に周りへの根拠のない不信感や、自分に対する不満感といったものが薄くなっていったような気がする。

 

しかし、決して順風満帆とはいかない。日常生活で、仕事とまで言えないがそれなりのことをするようになって特に感じるが、在家での瞑想を習慣化するのは難しい。多忙な現在に思考を、感情を奪われ、目を向けるべき過去から現在への流れ込みをブロックしてしまうからだ。過去と現在の合流地点を、能動的に構築する努力が必要である。