親からの抑圧を受けた人がフロムとニーチェを読んだら

社会心理学から見た個人の性格

【フロム "自由からの逃走 (東京創元社)" 付録「性格と社会過程」より要約】サディズムなど、外的要求 (経済的な競争)に働きかけられて個人が抱いた感情・考えた思考・行った行為ではなく、内的な衝動 (良心や義務)が個人に生まれる。権威主義的性格で権威的なものへの破壊衝動を持つ個人は、そういう良心や義務などの内的衝動に走りやすい。

権威主義的性格…一例としてヒトラーに見られるような、社会構造に影響を受けて形成される個人の性格の一つ。社会に対して個人が抱く劣等感や無力感が、個人より遥かに強い地位を得ている権威的な組織や政治的組織にその個人を容易に服従させたり、組織や社会や経済に対する破壊衝動を個人に起こさせたりする。そういう個人の性格をフロムは「自由からの逃走」において "権威主義的性格 " という言葉を用いて説明している。

ニーチェ哲学から見た良心

ニーチェ "ツァラトゥストラ (中公文庫)第二部 "「同情者たち・僧侶たち」より要約】神は人間に苦悩することを説き、弱き者への同情・良心を徳とした。またそれを神への人間の義務とした。神に帰依すれば、苦悩から開放された彼岸を約束することが愛だと神は説いた。ニーチェは創造性を失ったゆえに「神は死んだ」と考えた。創造は同情を超えなければ到達し得ないから。それよりも創造的な超人になるためには、人間は同情を超えていかなければならない。超人は苦悩を肯定できなければいけない。そうして始めて人間は創造的な事が成し得る。

 苦悩するものは他者に苦悩を求める(超人思想では、永劫回帰・つまり苦悩は肯定される)/or 人生に楽しみを持たない者は、他人に苦痛を与えることをする。人生に苦悩を求める神は、それが神への愛だという。神を愛し、帰依すれば苦悩から開放された彼岸へ渡れる。神はそれが神が人間を愛することだと言った。

インドの宗教から見た神の愛

シュリ サティヤ サイ ババは、人間の基本的な性質は神聖であり、人生の目的はこの神性を実現することであると教えています。それは、道徳的な生活を送り、困っている人々に無私無欲の奉仕を行い、献身的な実践に従事し、すべての命に対する愛、尊敬、思いやりを育むことによって実現すると神は述べています。人が自己中心的な欲望と執着の世俗的な生活を、無私と献身的なより高次の霊的な生活に変えようと努力するとき、神の恵みを受けるための基盤が構築されます。この恵みこそが、私たち一人一人に私たちの本当の性質を明らかにしてくれるのです。

SSSIO(シュリ サティヤ サイ インターナショナル オーガニゼーション)HPよりhttps://saiaustralia.org.au/about-sai/

 

感想

うーん…フロムのいう権威主義的性格・サディズム的性格の者は、良心・義務=苦悩 (宗教的ないわゆる「人生は苦」・苦行に耐えて彼岸に渡ることができて神に愛され解放されるという考え方)に走る傾向がある、と言っているけど…ここではこの主張はフロムが警鐘を鳴らしているのだと言う前提で捉える。良心や義務というのは飽くまでキリスト教でのことを言及していて、インドの宗教学までは考慮に入れてはないんだろうか。違う意味でニーチェに同調するように、フロムもキリストにおける良心・義務の概念は権威主義的性格の者には危ないよと言っているんだろうか。容易に権威に従属してしまう性格なのだから、それを考えればそういう解釈で合ってそうだけど。

 

ニーチェも、ツァラトゥストラではキリスト教を念頭に宗教批判をしているわけだ。簡単に言えば苦悩からの解放、仏教で言えば浄土信仰のような、ヒンズー教で言えば解脱?(あまり詳しくないが)をニーチェは良しと考えず(飽くまでキリスト教を念頭に置いての話だが)、"ルサンチマンに浸らず、逆に苦悩を望んで永劫回帰させよ、そういう超人を目指せ " とニーチェは言っている。ニーチェツァラトゥストラではキリスト教の神の愛を否定している。

 

ヒンズー教に根ざしている神の愛や、奉仕、徳、といったSSSIOの概念がキリスト教の場合とどう違うのか…私はどちらかというと、今までの経験の話だけで言えばフロムの権威主義的性格・ニーチェルサンチマン/永劫回帰が自分に刺さる概念だったわけで。その流れでいくと、キリスト教とは私は相容れないんだろうな。でもインドの宗教原則はどうなのか、まだよく分からない。心理学、哲学を中心に本を読んできたから、やっぱり宗教的側面の教養や知識がこの先必要だな。

 

中公文庫のツァラトゥストラの巻末付録で、訳者と三島由紀夫の対談が載ってるんだけど、三島由紀夫が「ニーチェに東洋のインド哲学や宗教学を教えたら、ニーチェはどういう影響を受けたでしょうね」と言っているあたり、ニーチェの超人思想はインド哲学ヒンドゥー教と必ずしも敵対はしないようなニュアンスもあるな…やっぱり私はインドの哲学や宗教といった文化には興味がある。ニーチェの「神は死んだ」を呑み込んだあと、私はどう進むのかというあたり。本って一生読める気がするな。