異国での躁鬱と不眠の夏、そして麻薬的なもの

うつ病かもしれない。と人生で初めて感じている。オーストラリアで。

スマホのアプリでストレス度合いを記録していたのだが、

このまえ土曜の朝はなんのやる気もしない気持ちだった。なのに日曜は嘘のように晴れやかな気持ち。先の不安も感じない。

と思うと月曜には不眠で寝不足。調べるとうつ病とよく併発するものらしい。不眠じたいは1ヶ月前から時々ある。

平日の真ん中の木曜日にも、うつ病の波は来た。起きた時には 10 時間も寝ていた。その日は昼過ぎまで体全体が重く、ベッドのうえで過ごした。その前日には普通に語学学校にも行った。行きたくはなかったが、クラスメートの顔を見るためだけに行った。それくらいの理由にも関わらず外出はできたのだ。しかし、この日は違った。一歩も家から出たくない気持ちになったのだ。なのでもちろん学校にも行かなかった。散歩には行った。こんな状態で病院に行くなんてできるわけがない。うつ病の人に病院に行くのを勧めるのは無理な話だというのが頷ける。うつ病の人は、周りの人が病院に連れて行ってあげるべきなのだ。シェアメイトとはそんな信頼関係を築けていないし、私の周りには病院に連れて行ってくれる人はいない。異国だということも尚更手伝って病院など行けようはずもない。躁状態の時には、病院に行くよりもっと面白いことに気を取られてしまう。

 

そういえば 2年半前に別れた女性はその時期に仕事でうつ病になった。その発症の1ヶ月前に数週間同棲したが、3ヶ月後くらいに別れた。

 

オーストラリアに来る前から、麻薬的なものは私にはある。ポルノビデオだ。いたした事後は、倦怠感で暫く起き上がれない。

 

そしてサディズム権威主義的性格と、サド&マゾヒズム的性格。本当におかしくなりそうなほど制欲がほとばしるのに、その対象を蔑みたい衝動に駆られる。前に付き合っていた彼女が子供を育てているかもしれないその同じ時に、私はその彼女としかしたことがないセックスの幻影を追い続けている。自分が今までの人生で一人の女性としかしていないことに、そして彼女がそれを知ったらあの男は他の女とはやってない、私だけだとほくそ笑むのではないかということを時には誇大妄想したり、惨めな思いをしたりしながら。惨めどころか、内側を駆り立てる激情が感じられるくらいだ。

 

それをどうにかして現実に彼女を作る気持ちに向けたいが、自己肯定感が最低でそんな気持ちも煙のごとく一瞬で消える。麻薬的なものに逃げてしまう。ポルノビデオ・酒・音楽。

だが、結局は彼女ができたとしてもセックスが麻薬的なものに置き換わるだけで本質的には変わらないのかもしれない。

以前にはない、女性との心のつながりがあれば少しは違うかもしれないが。

 

そして、どこにも行けないような感覚。

生きづらさを感じた日本や家族、知人関係。閉塞感しかない生活。その全てから抜け出すためにオーストラリアに来たのに、そこでさえ確たる居場所が感じられない。皆に自分だけ追いつけず、知らぬ間に自分がいる都市から誰もが離れていく。

日本を発つ前は、どこか遠くへ行けそうな気がしたのに、どこにも行けない。

 

この人生を辿ることを100人いたら100人が拒否するような人生を歩んでいる。

自殺者の気持ちが分かる。楽に死ねる方法があるなら死んでもいい。

 

普通に日本に帰っても働けるような人は、周りの人は「帰ったほうがいい」というだろう。

しかし私は日本に帰ったところで何ら状況は変わらない。

先の見えないまま ITスキルを独学で身に付けなければ経済的に自立した生活は望めない。生活保護を受けて孤独に自然と日常に戯れ、老いを忘れて無邪気に死を待つ生活が待っている。

そんな気分なのに、帰国したいとも思わないのは当然だ。

 

なかなかレジュメを配っても成果がないから帰国がやむを得なくなるかもしれない。とはいえ、オーストラリアのワーキングホリデーでは、最長でも半年に一回はバイトを探さないと生活費がなくなる。日本で正社員で何十年も働けることに比べれば、求職のストレスはやむことはない。バイト経験と、語学力が増えれば少しは楽なのかもしれないが。

 

ファームには行きたくない。行っても語学力の習得という意味では何の足しにもならないし、

田舎暮らしに憧れているわけではない。ただ、旅行には行きたいので資金のためにファームに行くかなくらいの感覚。そうでもなければ帰国する。うつ病の中においては旅行も意欲が時々霞む。

 

どこか遠くへ行きたい、そう思ってオーストラリアに来たことが思いの外、自分の中では大きな衝動だったのかもしれない。英語力を伸ばすことや、IT の仕事を海外で、という漠然とした目的より、それよりも更に曖昧な "遠くへ行きたい " という感覚がまさっての渡豪だったのかもしれない。

 

私と同じような "ここではないどこかへ行きたい " という思いでニュージーランドに数年前にワーキングホリデーに行った女性の人が書いた記事を note で見た。

その人は、WOOFF (家と食事を提供してもらう代わりに農家で仕事を手伝うプログラムのこと)にすぐに行っていた。森田療法には前々から興味があったので、それに近い感覚で WOOFF を体験すれば、私の精神的な問題に好影響を及ぼしてくれるだろうか。

つい先日に エーリッヒ・フロムの "自由からの逃走 " の本編を全て読み終えた。しかし、そういう「権威主義的性格」が私の中にありそうだという確信に近いものは感じても、何をどうすれば自分の性格は正常になるのか、そもそも正常に戻ることが可能なのか、という疑問は拭えない。"自由からの逃走 " は、勿論そういうハウツー本ではない。日本にいたときは、そういう自分の心理的な問題に行き詰まったときは、図書館で数珠繋ぎのようにその疑問に答えてくれそうな書籍を読み漁れば、問題の解決が進展していく実感を感じることができた。実際にその方法で私は、以前に抱えていた心理的な別の問題を克服することができたのだ。しかし、今はオーストラリアにいるので、日本語でそういう書籍を図書館で探すことが容易にはできない。

 

そういう中にあって、手探りで自分の抱える心理的問題を解決しようと思えば、WOOFF や森田療法、以前に試した マインドフルネス、シェアハウスの近くにあるヒンズー教寺院で週に2回催されている バガヴァット・ギーターのミートアップに参加しするなど、実践を通して心理的問題の解決にアプローチするほかないのかもしれない。