麻薬的なものと資本家と繁栄 その3

andymori に MONEY MONEY MONEY

という歌と、teen’s という歌がある。

今回は、この 2 曲に感じたことを書く。

 

MONEY MONEY MONEY

 

スピード上げて大きな音出して

凄んでみても満たされないのは

毎朝鏡に映る瞳が "HEY このクズ野郎" と

呟くからさ

 

- MONEY MONEY MONEY (andymori)

 

という歌詞。

 

"自由からの逃走 " で著者のフロムが言っているような、個人が社会に対して感じる無力感が

MONEY MONEY MONEYの歌詞で「このクズ野郎」というところに出ている気がしなくもない。

 

 

あと全然関係ないけど、

いろんなところで、例えば英語をスピーチで学ぶ的な広告とかで知られている、

スティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大学卒業式招待スピーチがある。

 

そのスピーチでジョブズ氏は死について語っており、以下のようなことを言っている。

 

「鏡の前で毎朝、『今日もし自分が死ぬとしたら今からやろうとしていることは本当に自分が望む事だろうか』と私は30年間、自分の心に問いかけ続けてきました」

ジョブズ氏は言っている。そしてこうも言っている。

 

「その問いかけに対して、数日間にわたって

"No. " という答えが続いたとき、自分の中で何かを変える必要があることが分かるのです」

 

つまり、ジョブズ氏が言っているのは、

"自由からの逃走 " でフロムも言っているように、

人の意志というのは、その人が本当に望んでいることよりも、他者の要請に答えようとしているだけの場合が殆どだということではないのか。

 

だから、ジョブズ氏は鏡の前で

"自分が本当に望んでいることは何なのか " と問い続けたのだと感じる。

そうすることでジョブズ氏は真に自分がやりたいことが明瞭になってきたのだと思う。

 

andymori のMONEY MONEY MONEY で歌われている、

「スピード上げて大きな音出して凄んでみても満たされない」人は、いつも他者からの要請に応えるばかりの日々を送っている。

 

つまり、いつも自分の本当の欲求を抑圧しているために、

鏡の前で「クズ野郎」

と、自分に対して無力感を感じているのではないだろうか。

 

 

teen's 

 

また、フロムは "自由からの逃走 " で、

個人の無力感は、孤独と不安を個人の中に増大するため、

個人はそれを抑圧し、

外的世界を破壊するか、

自分より強い国家や主導者、会社、資本家などの権威に自己を同化させようとする心理がある

という様なことを書いている。

 

 

teen's の歌詞で、

生まれていたサディズムに気づかないふりをした

人の傷を楽しむ自分を

押し殺した

 

- teen's (andymori)

というのがある。

これは、もろにフロムが書いている事だ。

 

つまり、

自然な欲求を抑圧することに慣れ、

それがゆえ無力な自分に気づいた人間は、

 

・他者を支配する事でそれを抑圧したり (=サディズム)、

 

・無力な自分を囲む外的世界を破壊したりする (例えば、テロリスト)

 

ということ。

 

teen's の他のところでも、

 

妬みや僻みなんかで

誰がビルに突っ込むだろう

 

- teen's (andymori)

 

と歌われている。

 

これは恐らくアメリカの9.11 の航空機ハイジャックで高層ビルに突っ込んだあの事件のことだろう。

 

テロリストは、妬みや僻みなんかではなく、

個人の無力感から来る絶望感や、

そこから来る権威への狂信的な執着・それがゆえの破壊欲が

テロ行為に走らせたのだろう、というような事を、

小山田さんは

「妬みや僻みなんかで誰がビルに突っ込むだろう」と表現しているのではないだろうか。

 

また、最初の方で歌っている、

思いは募るばかりだが

弱い僕さえ認められない

 

- teen's (andymori)

というのは、孤独を抱える「僕」が、サディズムや破滅の心を生む、無力な「弱い」自己を抑圧するということなのではないだろうか。

 

路上で歌うティーンエイジブルース

平和と愛が永遠のテーマ

小さな自分の醜さをそんな紙切れじゃ救えないぞ

 

- teen's (andymori)

 

teen's で歌われている、ティーンエイジブルースを路上で歌う「弱い僕」が「小さな自分の醜さ」を何かで誤魔化そうとしている。

 

MONEY MONEY MONEY の

「毎朝鏡に映る瞳が "HEY このクズ野郎" と呟く」人がこのティーンエイジブルースを路上で歌う人かどうかは分からないが、

「そんな紙切れ」とは、お金のお札ではないだろうか。路上でミュージシャンがギターケースを開けて路上に置き、チップのお金がそこに入っている。それを「そんな紙切れ」と言っているのかも知れない。

 

MONEYという単語からすると、お金というつながりで、MONEY MONEY MONEY の「毎朝鏡に映る瞳が "HEY このクズ野郎" と呟く」人は、teen's の路上でティーンエイジブルースを歌う人なのかも知れない。その人が「そんな紙切れ=お金」で自分の醜さを救おうとしている。

 

また、MONEY MONEY MONEY の「スピード上げて大きな音出して凄んでみても満たされない」人は、teen's の「何もかもが満たされない少年」なのかも知れない。

 

 

2nd アルバムの "ファンファーレと熱狂" に、ずっとグルーピー という歌がある。

そこでは禁欲的な生活を送る修道女が、小山田さんが自身のライブにおける心境に重ねて描かれている。

 

そこから、その修道女をカトリック信仰と結びつけて考えると、

teen's の

「自分の醜さをそんな紙切れじゃ救えない」でいうところの、

"自分の醜さを紙切れで『救う』" という表現に多少違和感があるのは、

「紙切れ」がカトリック信仰における "免罪符 " の意味もあるのかも知れない。

 

また、免罪符の象徴的モチーフとしてお金を置いたのは、

もしかしたら、アメリカのビルにテロで突っ込んだイラクへの報復攻撃を、アメリカの経済大国としての権力=お金の力で "Weapons of Mass destruction" の名の下に正当化した、ということも表現しているのかも知れない。

 

妬みや僻みなんかではなく、権威への服従・憧憬とその反動から来るサディズム・破壊欲がテロリストにビルに突っ込まさせたのにも関わらず、

そういうテロリストたちの心の傷や闇を救うことは、キリスト教国で隣人愛やアガペー・徳の大切さを説く国であるにも関わらず、そのアメリカにはできないということだ。

 

teen's で出てくる「路上で歌うティーンエイジブルース」が「平和と愛が永遠のテーマ」と歌っていることからも、上で述べたようなテーマを小山田さん自身を歌詞の中のシンガーと重ねて、愛とはどういうことなのか、と小山田さんはこの曲で問いたいのではないだろうか。

 

愛が全てと言えますか

綺麗なままの顔で死ねるなんて思いますか

 

- teen's (andymori)

 

 

また、

偽りの広告に縋るしかないのなら

僕は生きている意味の欠片さえも見出せない

 

- teen's (andymori)

 

というのも、権威に縋るしかない個人の脆弱さを表現しているように思える。

 

フロムの "自由からの逃走" でも、

もろに「広告でも "このシガレットを吸ってごらんなさい。きっと爽快な気分になりますよ" と扇動するような言葉が使われている」というような表現がある。権威の象徴的な例として広告をフロムも上げていたのだ。

 

そして、そのシガレット、つまりタバコも teen's に出てくる。

遠くに行っちゃったサッチャンは

髪の毛を染めました

タバコなどを覚えて

久しぶりって言いました

 

- teen's (andymori)

 

「サッチャン」として出てくるこの女性は、

無知にも、権威的なものに無意識に従属の心を抱き、遠くに行き、つまり欧米文化に染まってしまい、広告に踊らされてタバコや美容に腐心してしまっていることを、小山田さんはどこか諦念を以て描いているように感じる。

 

これは、フロムが言っていた、権威への「マゾヒズム的な服従」の例に当たるだろう。

そういう事実に気づかずに、半ば狂乱的にさえ見える、娯楽に身を興じている人々があまりに多いのは、私も哀しいことだと思う。

 

そういう無知な人々が描く偽りの広告、偽りの「幸せ」に踊らされる人の方が、この国の不幸であるという事実を小山田さんもこの teen's では歌っているのではないだろうか。