僕はネコ好きだ。犬よりはネコ派である。
あいみょんの曲に「猫」という曲がある。
そのまますぎるネーミング。
彼女はネコ好きなのだろうか。
「猫」という曲を書いた人が犬好きであれば、その歌詞は「猫 それは冷徹無慈悲な獣」みたいになりそうだから、彼女は猫好きだろう。そんな歌詞ではない。
実際の「猫」という曲は
『君と別れた。猫みたいにふとした時に現れてくれるだけでもいいから会いたい。』
みたいな歌だ。
ネコ好きとしてはいい歌だなぁと思った。
ふと思ったのだが
ネコカフェ、ネコ系女子...などのネコブームが到来する前の時代の、猫が好きでも何でもない人がこの曲を聞くとそこまで良いなと思わないのでは?
例えば、たばこ屋のおじいちゃんが店の外をぼーっと眺めていて猫が通りを歩いていたとする。たばこ屋のおじいちゃんは猫が現れたからといって歓喜するのか?
そんなおじいちゃんが
『君が猫みたいに現れてくれるだけでもいいから君に会いたい。』
という歌を聞いて良さが分かるだろうか?
ていうかおじいちゃんあいみょん聞かないか。
もう少し極端な例でこの根拠のない説を説明させてもらいたい。
ジャコウネコの糞から取れるコーヒー豆が売られている。
ここでネコのウンコから取れたもの(というかむしろウンコ)に高いお金を払って「うん、美味しい」とか感想をもらす中年のオッサンを想像して欲しい。
これ、ネコ側からしたら只のやばい変態オヤジじゃん。どういう性癖をしているのか。時代を先走った異種混合SMプレイ。
大体ネコもネコである。自分のウンコを人に飲ませるなんてSっ気にも程がある。
ネコのウンコを拝む人間も大概だが。
いやこんな思考をしている時点で人のこと言えないんじゃないか。
ネコのウンココーヒーを飲んで「うん、美味しい」とこぼす中年のオッサンと、僕も大差のない変態なのかもしれない。
ジャコウネコのウンココーヒー豆もネコブームの存在が購買意欲に加担しているとおもう。ネコブーム、おそるべし。ネコブームに乗っかればネコのウンコだって飲める。
話が肥大しすぎた。多分ジャコウネコの糞から取れたコーヒー豆は美味しいだろう。
僕も飲んだらきっと
「うん、美味しい」
ともらす。ちなみにウンコはもらさない。
それはジャコウネコのウンコからできたコーヒーを飲んで僕のウンコから出てきたコーヒーになる。そんなものは誰も飲まない。
猫のウンコ万歳。