ワーホリで自分の内面を見つめることが増えている。
その為に、語学学校に行けなくなってきた。悪くはないが。選択肢はたくさんある。
賭けというのは、語学学校に行かなくても英会話を習得できるか、という実験。
賭けとは大げさかもしれないが、人生のうち 2年を使うのだから、大げさでもないだろう。短大に通うくらいの年月だ。
不登校
語学学校に通っている途中、 2週間 通った時点で分かったことがある。
それは、内向的な性格の者は、社交的な者のように他国の留学生と友達になって話すことで英語のスピーキング力を伸ばすことはできないことだ。
余程語学を習得する目的がある場合や、必要に駆られている場合でもない限り、難しい。
私の場合は、英語を話せるようになるためにワーキングホリデーを利用して語学学校に通っているわけだが、英語習得のモチベーションとなる目的が特にない。だから、自分の内向的な性格を乗り越えてまで、英語を習得しようという意欲が湧かないのだ。
対して、進学したり、現地オーストラリア人経営、あるいは日本人以外経営のカフェやレストラン、ホテルで働きたい、という目的がある人は、例え内向的な性格でも、語学学校で他国の人と友人になって英会話力を高めることができると思う。
目的や差し迫った英語習得の必要性がない時点で、内向的な私が語学学校に通っても大して意味がない気がするのだ。他国の留学生と仲良くなって... なんてしんどくてできない。
そしてこれは、不登校のプロセスをたどっているのかもしれない。大人になってから、いかに自分の半生が矛盾と抑圧に満ちていたかを知った後、学校というものは語学学校といえど、そのホストの価値観が万人に合うものではないようだということが分かる。
特に日本では、大学進学→就社というレールを走れないタイプの人は自殺するか犯罪を犯すか生活保護を受ける羽目になる。運のいい人は国が敷いたレールから外れても生きていく方法を見つける。だから不登校を気にする必要はない。
生活のためのアルバイトも簡単ではない
また、アポ無しで飛び込みでレジメ (履歴書)を渡しに行くつもりだ。
Eメールを送って、レジメをよく見られて「こいつは飲食勤務の経験が乏しい」で不採用のレッテルを貼られ続けて、どうしようもないと感じたらそうせざるを得ないからだ。どこか運よく緩い採用の店があれば別だが。
飲食店勤務経験が少ない私にとって、飲食店狙いならこの方法でいくしかない。説得力のある自己アピールをして、熱意や勢いで採用を勝ちとるしかない気がしている。
もし、それでも飲食店がダメなら、ファームででも働かざるを得ない。
友人たち
心の友
そして、本当に心の底からそはにいられる友人がほしい。こっちに来て友人と呼べる人がいない時は、とにかく尻尾を巻いて逃げたい感情になった。友人と呼べる人はいるにはいる。が、やはり「信じていいかい」という気分は残ってしまう。80% は一緒にいて居心地の悪さはないので彼を信じよう。
しかし、残りの 20%は、相手に理解されないのではと思う部分が自分にあったときで、戸惑う。
多分、拒絶感を感じたくないからだ。これには言語的な障壁が影響してもいる。
英語で頑張って相手に伝えようとしたら、理解 (愛)の深い友人なので何とか分かってくれたようだった。
案外オーストラリアのあたらしい文化に染まって、自分の主張をオープンにした方が語学習得にもプラスに働くかもしれない。
同志・兄弟たち
本当に自分と似たような思いで、日常レベルで生きづらさを感じている人とも出会った。
共感できる感性が多すぎて (でも同情でも変な仲間意識でもなく一体感に近い)、もう一人の自分を大切にするような、そんな存在。
でも会えないのかもしれない。会いたい。
その絆はなぜか、愛のないオーストラリア英語教師によって引き裂かれた。大げさだが。彼は発した言葉こそ違えど、その実「内向的な者の居場所は語学学校にはない、国に帰れ」と言っているようなものだったからだ。
友人との関係を別々にされたというより、
同じ人格否定を 2人分も被った感じ。私から友人への二次被害。痛みが2倍になった。1つの痛みでもこんなに辛いことなのに。辛いことは一人分で十分。
でも、私とその友人は恐らく同じ傷をその教師の為に負ったまま。私達がどちらかが傷つけば、呼応してもう一人も傷つく。
どちらも回復不能なダメージを負った場合は可能性は 0だ。二度と語学学校に行かなければ、彼女に会うこともない。
時間が解決してくれるのだろうか。