2023年とandymori とオーストラリア その 3

今回からは andymori 要素はほぼなく、オーストラリア・ワーキングホリデーの体験日記的なことが内容の中心になると思う。

 

 

まず、オーストラリアでは、率直に言ってカルチャーショックを受けた。

「2023年とandymori とオーストラリア その2」の記事では、好きなことを仕事にするしか、人生を "楽しく " 生きる道がないような気がした、ということを書いた。そこでは、私にとって「好きなこと」とは「国際交流・異文化接触」だと書いた。

 

しかし、これは最初の 1週間で瓦解した。なぜかというと、日本とオーストラリアで文化が違うことなど、「面白い」どころか、「当たり前」のことだという感覚になったのだ。

 

「好き」が「当たり前」に変化した

だが、これは悲観することではないと、この前の記事を書いていて思った。そこで紹介したスティーブ・ジョブズ のスピーチには続きがある。

 

「好きなことというのは、恋人との関係と同じで長く向き合うほど深くなるものなのです。ですから立ち止まらず好きなことを探し続けてください」

 

つまり、私は「異文化接触を楽しむことが好きなのだ」と信じなさい、とジョブズは言っているのではないだろうか。好きなことを、恋人との関係と同じように向き合う、という意味は、付き合ううちに、恋人の色々な内面と向き合うことになるように、好きなこと、というのも、ただ「好き」だけでは、深い関係とは言えないのだ。文字通り恋人と同じで、私の「好きなこと」である異文化は「当たり前」のことなのだ。「好き」が「当たり前」に変わった。好きな人と一緒にいるのが、何もしないでいると「当たり前」になることと似ている。

 

異国人への恐怖感が拭えない

だから心を閉ざしてしまい、相手にそれが伝わる。相手も心を開いてくれない。という悪循環。

 

失業者が結構いそう

タウンホール (シドニー市役所)周辺で夕飯を取ろうとしていた日があった。近くにマクドナルドがあり、入り口に失業者っぽい人が座り込んでいた。不思議なことに、私はマクドナルド店内に入れなかった。心理的な意味で。その失業者の人を避けたかったからではない。あたかも彼が「外国資本の筆頭であるマクドナルドにお金を落とす余裕があるなら、ハンバーガーの代わりにスーパーの食パンを食べて、余ったお金を貧しい私に分けてくれ」とでも言っているような感覚。資本主義への小さな反抗をその失業者はしていたのかもしれない。

セントラル駅の出口の遊歩道では「Where are you going?」と小声で道を行き交う人ごとに語りかけているおじさんもいた。

 

麻薬的なもの

ツァラトゥストラ (中公文庫、 ニーチェ手塚富雄訳)の訳者対談で「ニーチェが青年時代の麻薬的な役割を果たしていたと三島由紀夫が言っていたが、ツァラトゥストラが私の場合は麻薬的な役割を果たすのかもしれない。言ってみれば私が生まれてから四半世紀の間、私の人生はルサンチマンだったわけだし、白人たちは飽くなき探究心 (欲ともいう)でもって働いて徳を積んだり、遊んだり、毎週末には懺悔して神から恩赦を賜るようなキリスト教圏に支配されたオーストラリアなどニーチェキリスト教批判の格好の的だろう。真夏にクリスマスを祝うヨーロッパ系移民を見てアボリジニは何をおもっているんだろう。そんなニーチェは、「どこにも行けない」日本から「どこへだって行ける」オーストラリアに来た私にとって、麻薬的な意味は必ずある。

 

つまり麻薬的なもの(キリスト教であれタバコであれセックスであれ結婚・出産・子育てであれ)がオーストラリアやアメリカなど比較的に歴史が浅い国家においては、厳しい現実から一時的に・それを持続させることで半永久的に、死ぬまで必要なのだろう。麻薬漬けの国家だ。まあ麻薬的なものが悉く抑圧されたり乏しかったりすることで自殺大国との呼び声高い日本よりはマシかもしれないが。

 

遠くへ来た

もう日本の家族・大学までの知人(私に友人はかつて一人もいないのだ。心から通じ合える。いたなら、ここまで私は語学習得に苦しんでいない)に会いたいとはあまり思わない。そういう意味で「遠くへ行きたい」は正しい感覚だったかもしれない。何もかも振り切って来た。andymori の「ハッピーエンド」の歌詞を借りれば「絡まりを全て解いて」きた。

それが証拠にかわからないが、信用できる人とそうでない者を識別できる力が今オーストラリアではあるような気がする。

「吐き気のするあの顔を大事な人の中に見て」という経験をしたが、幸いにも幸運と自助努力によって、そこから 3年経った今、素晴らしい人たちとオーストラリアに来て出会えた。本当に人生は何が待っているか予想もつかない。

 

2週間で感じた「日本でもここでもない」という感覚

やはり欧米的なものに自分が馴染めないような直感がある。まだ2週間だから馴染めていない感覚ではなく、自分の周りに文化の透明な壁がある。それが解けない気がする。自分が心理的に壁を作っているからでもない。およそ 30年間住んでいた日本という独特な文化を自分が死ぬまで背負い続けるような感覚。どこまで行っても自分の影がついてくるように。その日本の影をできるだけ薄めようとしている感覚。影に色が付くならば、黄色や白色が混ざったような色になるのかもしれない。

 

オーストラリアに来て1週間はホームシックになったが、予想通り、私が恋しくなったのは日本語という言語と、andymori の音楽と、日本食だけだ。両親や兄弟、昔の知人が恋しくなったことは一度もなかった。もちろん、実家という安楽な生活=「どこにも行けない」生活は叶うなら戻りたいと思ったことはある。だが両親という存在自体を恋しくは思わなかった。あくまで日本での生活それ自体を求めただけだった。

 

なので 日本シックになった時は、ツァラトゥストラの日本語訳文庫、自由からの逃走 (エーリヒ・フロム)の日本語訳本を読んだり、andymori を聞いたりした。とにかく日本語に触れたくなったから。

 

 

2週間経ち、自分はオーストラリアでもなく、日本でもなく、別の場所に自分の存在がしっくり来る文化があるような気がしている。直感的にだけど。マレーシアやタイ、インドやトルコ (今はあまり行きたくないが)とかにも行ってみたい。オーストラリアは多分半年くらいで飽きるような気がする。

 

オーストラリアに何年まで自分がいるのか想像がつかない

オーストラリアのワーキングホリデービザは、ファームで働くなど条件を満たせば 最長 2年滞在できる。お金がないので働かないといけないが。だが、2年もオーストラリアにいて「ここじゃない」感を感じて日本に帰国するのは勿体無い気もしてきた。英語の習得を優先させるなら、英語圏のオーストラリアに1年以上いた方が良さそうだが。

 

英語の習得を目指しているのは、一つは日本語教師という目標のため。海外で日本語教師というのは困難な道だが、海外で生活をする一つの手ではある。二つ目は、将来的に IT の仕事も英語が話せて IT・プログラミングスキルがあれば、リモートワークで海外ノマド生活も夢ではない。プログラミングのスキル習得については、まだ課題があるが。韓国人の友人が勧めてくれたように、Android アプリ開発Java で勉強しようかと思っている。

 

なので、年齢的に最後のワーキングホリデー 2年間を全力で日本語教師や IT の仕事を海外でやることに力を注ぐなら、割り切ってオーストラリアの文化で暮らすしかない。2年間 やれることをやり切って、それでも目標に届かなければ、英語を生かして就労ビザを取れるかもしれない。その時はまたオーストラリアにお世話になるのかもしれないが。可能なら英語圏の国 (イギリス、カナダ、ニュージーランドなど)にも行けるかもしれないし。日本で語学を教えながら 日本での IT の道を模索してもいい。

2023年とandymori とオーストラリア その2

2023年とandymori とオーストラリア その1 - はてなブログ

につづき、その2。

 

その1 で書いたのは、2023年 からandymori を聞き始めたこと、グローバリゼーション時代に群衆の中で日本で生きることの居心地の悪さみたいなことを書いた。それに加え、自分の心情が欧米社会の経済成長がさまざまな人間的なものを破壊したにもかかわらず、欧米的なものに憧憬を抱いているという矛盾した状態にあるのではないかという結論に達した。

 

youtube.com

 

今回のその2では、そんな自分が30歳直前にワーキングホリデーに行くことになったことについて書きたい。

 

ワーキングホリデーとは

原則 1年間働きながら働きながら旅行に行ったり遊べたり出来るビザ。日本ではカナダやオーストラリアが人気。昨今の国際情勢的にもヨーロッパよりもカナダ・オーストラリアの人気は健在だろう。アメリカは日本に対してワーキングホリデーがない。そもそもワーキングホリデーっていう制度ないんだったっけアメリカ。

ワーキングホリデーに行こうと思った理由

私は大卒で仕事に就いてから6年、その仕事を2年で自己都合退職し、4年が経った。ずっと実家に半ば引きこもっていた。2年くらいは親戚の仕事を手伝わせてもらっていたので、何もしていなかったわけではない。が、もちろん自分の将来には見通しがつく生活をしていたわけでもない。

 

親戚の仕事を手伝ううちに、自分の自己肯定感が生まれて初めて芽生え、いろんな意味で成長はあった。なので、もともとワーキングホリデーに行くレベルなら怖気付くほどの軟弱さではなかった。なぜワーキングホリデーだったか。

 

理由1 異文化への関心

一つは、英会話の市民講座に通ったことで、外国人講師の母国文化や思考のあり方が日本では考えもしないことの連発であり、その異文化交流を楽しいと感じるようになっていたからだ。また、もともと英会話を勉強していたこともあり、英語は話せるようになりたかった。それに、あと1年〜2年でワーキングホリデービザの年齢規定を超えるということもあった。

日本語を海外で教える、というのも異文化接触の機会として考えていた。楽しいことを仕事にできるかもしれない。

チャンスは探している限り現れるだろう。日本では日本語教育能力検定試験を受けた。まだ合格発表前だが、やれるだけのことはやりきったし手応えはあった。

国際交流基金の行っている日本語交流会がシドニーで開催されており、ボランティアを募集しているようだし参加してみても何か発見があるかもしれない。

 

理由2 「どこにも行けない」より、「遠くへ行きたい」

もう一つは、後述するが andymori を聞くうちに「どこにも行けない」という表現がところどころ出てきて、それが自分に共鳴することに気づいたからだ。誰とも関わらず、継続した仕事もない自分は、世間から隔絶され、もはや「普通の」人々の望む場所には到底同じルートで行くことはできない状態にあった。「どこにもいけない」っていうのは、そもそもスタンダードな生き方という、枠に囚われた考え方が間違っているがゆえにハマる感覚なのかもしれない。昔はそれを卑下もしたものだが、今や私の人生においては当然のことであるという認識でいて、このまま「どこにも行けない」か、「遠くへ行く」かのどちらかのような気がしていた。そういう意味では外国で自由に気の向くままに生きてみる、ということがワーキングホリデーでは可能だと思った。

 

私は、過去の生育環境が原因で、自分がやりたいことも、自分が何かやり遂げることができたという成功体験もないがゆえに、生きていても何もしたくないし、何もできないという根源的な問題を抱えていた。退職後に親戚の仕事を手伝ったことで、その状態はいくらか改善したものの、まだどこか自分のやりたいことは見えていなかった。そんな中で「やりたいこと」として「異文化の発見に対する面白さ」は自分の中で大きいと感じるようになり、ワーキングホリデーに行くことを決めた。andymori に刺激を受けた、「遠くへ行きたい」という感情もあいまって。

 

もちろんここで「やりたいことを仕事になんてできない、できる仕事を探せ」と思う方もいるだろう。それは、個性を無視した視野の狭い考えだと言わざるを得ない。なぜなら、やりたくない仕事でも続けることができるのは、一種の "才能" だと考えるからだ。

 

実際、私はそういう "才能" はなかったのだ。大卒で入った会社でソフトウェア開発をしていたが、全体のシステムが巨大すぎて、その一端を何をやっているのか理解しないまま設計書の通りにコーディングを進めなければいけない、という何の面白みもない仕事だった。当時は「できる」仕事でもなかったため、心身に不調をきたした。たとえそんな仕事ができていたとしても、続かなかったと思う根拠がある。その仕事を辞めて、親戚の会社でもプログラミングをした。ただし、自分で設計して自分で作るという点で前とは違っていた。今度は、自分で理解しながら作るので徐々に「できること」が増えた。初めはそれで楽しさを感じれていたものの、やはり顧客の要望に根差したソフトウェア開発であったため、自分が「やりたいこと」「面白いと思えること」ではなかった。次第にそこでも仕事に面白みを感じなくなっていった。

しかし、業務外で自分でやりたいことをプログラミングでどうやったらできるかを考え、学び、実行する、という過程は、とても面白く、寝食を忘れて没頭できた。

 

これが、私にとって仕事は、「やりたくないができる」仕事でもダメで、「やりたい」仕事でなければ、続かないと思った理由だ。

なので、やりたいことが働きながらできる=英語圏の文化を異文化体験できる、という点でワーキングホリデーを選んだ。

 

またプログラミング、つまり IT 業界 については、メルカリなどのような自社サービスの開発を行う企業が自分にとって「面白いと思える仕事」としては非常に魅力がある。が、一時的にこれを選ばない理由は、もちろんワーキングホリデーの年齢制限云々もあるけど、自分の中で未来が見えないというか、地道に趣味でかたわらでカタカタとプログラミングを組んで遊んでいて道が開けるのかという疑念がある以上、100 % 集中できていない気がしたからだ。

 

理由3 仕事観を広げるという意味でも持ってこいの方法だった

なのでこれから 1~ 2年は、100% 自分が心底やりたいと思っている異文化交流や英会話の学習にどっぷりと漬かりたい。

また日本語を教えるという職がワーキングホリデー中に体感したり仕事をできたりすれば、別の仕事観も見えてくる。つまり、日本語教師のような仕事は、国や役所の仕事を社会の歯車に進んでなる仕事と考えるならば、そういう歯車同士をうまく回すための潤滑油のような仕事だと考えている。国の対外政策や経済政策、労働政策と密接にかかわっているのが日本語教育だと考えるからだ。教師が学習者 (例えば日本で働く外国人労働者)と教育を必要とする側の人 (例えば企業の外国人雇用の採用担当)を、日本語教育者として媒介とするからこそ、企業で外国人労働者を労働力として使うことができるのだし。

日本語を教えるような仕事以外にも、いろんな国の人や友達に刺激をもらいに積極的にかかわっていけば、新たな仕事観がもっともっと広がるはずだ。

 

andymori を聞いたことと、ワーキングホリデーを思い立ったこと

そんな中で 2023年の正月から、半年くらい andymori だけを聞いていた。しばらく聞いていると、欧米文化への漠然とした欲求が自分にあるのではないかという気になった。とどまるところを知らない欧米経済の躍進と、ここ数十年の間、経済が停滞している日本。バブル期の栄光が過去のものになった日本社会の隅っこで、ただ陽が昇り沈んでいくのを見守るだけの日々を送っている気がした。何かしていないとおかしくなるに違いなかった。冗談ではなく、自分は何者にもなれずただひっそりと暮らし死んでいくのだろうかと妄想をもした。

 

そんな中、ワーキングホリデーに行くことを決意した。このままだと何者にも自分はなれないのではないかという、ある種、破滅への道が暗澹と目の前に続くような気がしたのだ。

 

Keep Looking, Don't settle.

 

スティーブ・ジョブズが 2005 年にスタンフォード大学でおこなったスピーチが YouTube で公開されている。

 

www.youtube.com

あのスピーチの中にこんな言葉がある。

「自分が好きなことを探してください。まだ見つからないのなら探し続けてください。決して立ち止まってはいけません。探し続けるのです」

 

大学の就活時期に、最終的には 1年で辞めた会社への就職が決まる前に、その会社を辞めてお世話になった会社をやっている伯父から奇しくもこのスピーチの存在を教わったのも、目に見えない縁を感じる。伯父の会社で自分は何か夢中になれる仕事でないと頑張れないタイプだと学んだ。それがやはりスティーブ・ジョブズの言葉と無関係では無いように感じる。

 

私がこれまで生きてきて一番夢中になれたこと、つまり国際交流、異文化体験だ。だから、僕はワーキングホリデーに飛び立った。

 

 

続く

 

 

2023年とandymori とオーストラリア その1

andymori の 1stアルバムを 2023年の 正月に聞き始めた。

 

遠くへ行きたい

 

晦日の夜に2022年を振り返っていた。4年くらい前に聞き始めた米津玄師の歌に、"ピースサイン" があり、その一節が未だにずっと心の何処かに引っかかっていた。

 

残酷な運命が定まっているとして

この一瞬息ができるならどうでもいいと思えたその心

 

もう一度遠くへ行け遠くへ行けと僕の中で誰かが歌う

 

 

自分の心がどこか遠くへ行きたいと少なかからず感じている気がした。その時に Google 検索で "もっと遠くへ行きたい 精神世界的な意味" と検索してみた。

 

すると、検索結果の3番めくらいに、クイシンさんという方のメディア (ブログ)に andymori の曲の考察を書いた記事がヒットした。

 

その中にandymori の "遠くへ行きたい"という曲がある。

音楽には詳しくないけど、ほぼ弾き語りのような物静かな曲調で全体が作られている。

 

夜明けの街を行く

ギターケースぶら下げ

 

ギターを教えてくれた故郷の友達は

女をかいながら

つまらないと歌う

遠くへ行きたい

 

余命三ヶ月の彼女は生かされて

一年五月後のながい夜にしんだ

遠くへ行きたい

 

あまり意味はわからないが、

女をかい (買う、にせよ飼うにせよ、女遊びや服従関係のようないわゆる男女関係のことか?)つつ、詰まらない友達が遠くへ行きたい理由なのだろうか。遠くへ行きたい理由と直接繋がっているのかもよくわからないが。

 

乱暴にまとめると、儚さのような感情なのか。無気力さや命の儚さ。

 

社会的背景

その後も andymori を聞くに連れ、社会・政治的な趣向を感じる曲がままあることに気づく。

また、日本社会全体の白人への憧憬を感じる曲がある。1984 や "僕が白人だったら" など。クイシンサンという方のメディアヘ寄稿している方の記事を読むと、ジョージ・オーウェル1984というディストピアユートピアの逆)小説や、動物農場という本が背景にあるらしい。

 

1984 年は andymori のソングライター・小山田さんの生まれ年。時代的には高度経済成長期を経験した世代の子の世代だろうか。失われた30年とよく言われる、バブル崩壊の前後30年の経済停滞期より少し前だろうか。私は10年後の1994年生まれなので、実情のところはよく分からないが。

 

欧米の経済的躍進とandymori 小山田さんの歌詞

一昔前のGAFAに代表されるような白人社会 の停ること無き経済の進歩と、対比させて日本の社会政治的ムードを象徴しているんだろうか。

 

"follow me " の オレンジの太陽、や 1984の 真っ赤に染まっていく公園 が停滞して沈みつつある日本経済を象徴しているのでは、とクイシンさんのメディアに書いてあった。

 

 

真っ赤に染まっていく公園で

自転車を追いかけた

誰もが兄弟のように他人のようにさきを急いだんだ

 

親たちが追いかけた白人たちがロックスターを追いかけた

かよわい僕もきっとその後に続いたんだ

 

 

歌詞にも日本と白人社会の対比からくる哀愁を感じる。どこまでも続くかのように続く欧米の経済躍進。

 

5限が終わるのを待ってた訳もわからないまま

椅子取りゲームの手続きはまるで

永遠のようなんだ

 

 

クイシンさんのメディアに寄稿した人によると椅子取りゲームは、大学の新卒の就職活動を揶揄しているかもしれないという。

 

たしかに、永遠っていうと、東インド会社の設立から続く、資本主義の再生産を行うための歯車に人々が延々と続くための椅子取りゲーム=就職活動の様が、永遠のようだというのは分かる気がする。

いっこうに新卒一括採用という良く分からない文化が終わる気配はない。けれど 30年続く自民党政権で、経済は失われた三十年の間にGDPがほぼ変わっていない。

 

「遠くへ行きたい=欧米諸国の社会に憧れる」という個人的な印象

こうして andymori の1st や2nd アルバムを何度も聞いているうちに、うっすらと自分が感じていた遠くへ行きたいという欲求が、欧米諸国への憧れもある気がしてきた。

 

ベースの藤原さんも日本の息の詰まるような社会的風潮に辟易していたそうだ。藤原さんは帰国子女らしく、日本を外から見た時の、僕のような日本で生まれ日本から出たことがないような人には分からない感覚があったのだろうか。

歌詞を見るにつけ小山田さんもまたそうな気はする。

 

 

ひまわり畑の調子はどうだい

 

クレイジークレイマーそんな目しないで

世界で一番お前が正しいんだよって歌ってやる皆の前で

 

病名でもついたら病名でもついたら

虐められないし少しは楽になるのかな

 

 

"クレイジークレイマー" は、小山田さんが、鬱病で薬を飲みすぎて死んだ友達のために歌っている歌らしい。ひまわり畑っていうのが、その友達がタワレコの黄色い紙袋を部屋の壁に貼っていたことらしい。

 

日本の同調圧力が弱者を追い詰めて自殺大国ニッポンを作っている

この歌を聞いて、日本の同調圧力というか、均質な考え方をするような教育の無責任さのようなものを感じた。

鬱のように社会的に弱者の人への配慮というか理解というか、言ってみれば愛が日本社会には足りないという個人的感想。

そういう人たちを、自分たちの理解できる枠で当てはめてしか考えれない人が多すぎる。つまり、いい大学に行き、いい会社に入り、家庭を持ち、安楽のうちに穏やかに死を迎える、そんなことを当たり前だと思っている強者が多すぎるのだ。それ以外の人を理解できない。「あの人、仕事もせず毎日いるようだけど、何なんだろう」とか、よく言う表現ではそういうことだ。

 

こういうことを考えるたびに、中学の社会の教科書に出ていた、教育者が一人ひとりの生徒の頭 (思想の比喩)をハサミで、直角の髪型に均一に狩り揃えていく風刺画が思い出される。

 

 

自己肯定感は強者に目と鼻と口のように身に付いている

僕自身、大学を卒業して入った会社を 2年足らずで辞めている。

僕はそれで分かったのだ。大学に周りにいた友達は、社会に出るのに必要な準備が高校までに、大学生活までに整った人々なのかもしれないということが。

無論教育上の準備ではない。私も彼らも同じ教育を受けた。そうではなく、人格の準備だ。つまり、自己肯定感が圧倒的に高い人たち。対する僕は、今から考えたら大学卒業までに持ち合わせていた自己肯定感はゼロに等しかった。

 

"Life is party/ ウイスキー" と "ベンガルトラ/ 空" 的なモチーフ

曲名の "Life is party " は、欧米文化に触発された消費社会の比喩だと思う。対して、Life is partyという語が使用される "ベルガルトラとウイスキー" で歌われている 「きれいな空」 という表現がある。これは、キリスト教のアダムとイブの裸であることを知り、恥じるという動物を超越した存在が自分たち人間である、という原罪的な対比だと思う。

 

16 の「明日もずっと空を行くのさ」、"オレンジトレイン" の「最後のお願い聞いてあの空の向こうに連れて行ってほしい」なども、この "空 " 的なモチーフ。

weapons of mass distruction という歌にも、「コンクリートジャングル」と、「自然に憧れる人間たちの憐れな営み」という表現がある。それぞれ "ベンガルトラとウィスキー" でいう life is party、「きれいな空」とほぼ同義と捉えている。

 

グロリアス軽トラ

そういう意味では、グロリアス軽トラのYouTubeで上がっている動画を見てみるとコンクリートジャングルの意味がよく分かる気がする。

andymori のメンバーが軽トラの後ろで演奏しながら都会を軽トラで走っていく。この小山田さんがめちゃくちゃ楽しそうなのだ。任天堂DS、PSPが半額…広告のネオンサイン。警官が振り向く。街の景色がandymori の傍らを風のように去っていく。city lights がキラキラ、チカチカ明滅する中をゆっくりと走っていく軽トラ。その上で踊るように歌う小山田さん。

 

欧米を中心に牽引される資本主義社会の中を鼓笛隊が音楽を鳴らしながら走る。ただし商業音楽ではない。2023 年、悲しいけどすぐに音楽は消費される。こないだなんて、米津玄師の Pale Blue がピアニカ化されたメロディーだけがホームセンターに流れていた。まだ2年前の曲だ。広告産業など、人類から色んなものを奪っていく資本主義の怖さ。有料サブスクリプションで自分だけの音楽に浸ろうとか言いながら、広告識別子で連鎖した情報が抜き取られ分析され金になっていく。

 

 

city lights、遠くで光る街明かり

city lights の「エコバッグのアバディーン・アンガス」的な、街の光…人の気持ちを否が応でも明るく惑わせるコピー・ライティング、冷蔵庫の前でなんだかつまらなくなったらおいでよ、なクラブ……笑顔を振りまくアイドルたち、広告で引きつった人形のような笑みを浮かべるタレント……大音量で閃光をばらまく渋谷の巨大スクリーン。

 

たしかに明日へのエネルギーは嘘でも必要かもしれないが…キラキラの行き過ぎに注意をこれっぽっちも払わないのはどうかと思うが。

 

そんなことを思うと、米津玄師の "アンビリーバーズ " が頭の中をどうしても流れる。

 

 

遠くで光る街明かりにサヨナラをして前を向こう

 

そうかそれが光ならばそんなものいらないよ僕は

こうしてちゃんと生きているから心配いらないよ

 

 

この先の無事を祈っていた

シャングリラを夢見ていた

 

 

「楽園なんてないよ」と、理想郷の光を背に一人逃げ道を探しながら、引き算で生きていく。日本社会で多くの人が盲信している希望や幸せは、固定化・形骸化していると思う。自由恋愛が広まったのは19世紀かそこらなのに、あたかも当然のように現代に居座っている、当たり前の家庭・マイホーム・老後の夫婦での幸せに満ちた年金生活…別に良いのだが、教養もなく、ただ何も感じずにそれに流されるのは良くない。結果的に良かったとしても、生育環境や社会が個人の幸福を形作っているのではないことを知らないままなのは残念だ。仕事で自分の幸福を感じれるなら良いのだ。ただ、それだけの枠に当てはめて他人を物差しで測るのは如何ともし難い。子どもへの愛情は資本主義の再生産に使われるだけで終わっては、人間の尊厳もへったくれもない。家庭をもって子供を育て、社会に出すだけではなく、自分なりに愛とは何かを死ぬまで追求するくらいの覚悟はほしい。その愛は家族愛だけでいいのか、家族愛ならどんな自分らしさがそこにあるのか、あるいは精神世界的な意味での愛なのか。人間、家族愛に資する人ばかりではないのに、それを卑下するような一昔前の頭の堅い固定観念は減っていると期待したい。

 

私が andymori と共鳴する (と思っている)部分を中心に書いた。つまり、資本主義、特に欧米の破壊的な力が奪ったものを知っていながら、それに追従したい、騙されたいという欲求があるかもしれない、みたいなことが言いたかった。それが私の中に芽生えている「遠くへ行きたい」という心的現象なのかもしれない。

 

次の回では、そんな私が andymori を聞き続け、オーストラリアにワーキングホリデーをしにいきたいという欲求につながった話をしたい。

 

また、いつまで連載が続くか分からないが、来る渡豪後のことも、書けたら書きたい。今この記事を書いてるのは、渡豪の1ヶ月前だが、一年二年は頑張って向こうに留まるつもり。

 

 

 

つづく

チェンソーマン第二部感想 前回の連載(2023/4/19) 生き辛い人ほど心に刺さる理由 子供時代に人間不信を植え付けられた人が地獄を見る孤独

 

前回のあらすじ

二部のヒロインであるアサが地獄に落とされそうになる。飢餓の悪魔の宣言通り、落下の悪魔が現れた。落下の悪魔がアサをメインディッシュに調理する為にアサの前に現れた。

 

落下の悪魔の力でネガティブになった人が過去に受けた心の傷を思い出し、空へと落ちていく。アサも孤児施設の寮長に飼い猫を殺された過去を思い出し、空に落下していく。

 

デンジ(チェンソーマン)がギリギリの所でアサの手をつかみ、デンジが楽しい事を想像する事で地面への重力とつり合い、落下から一時的に免れた。

 

アサが抱える心の葛藤

でも最後の後悔 一人でいい... 一人でいいから心の底から誰かと…

チェンソーマン 少年ジャンププラス 第127話より

アサがなぜ人間不信になったのか?そして孤独な理由は?

アサは両親を悪魔に殺された過去を持つ。アサを孤児として受け入れた施設の寮長は「ここで皆が笑って暮らせるのも皆が家族になれたからなの」といい、母が犠牲になったときにアサが助けた猫も、他の猫たちと暮した方がいいとアサに伝えた。

しかし、アサは施設の別の子供から「アサちゃんの猫に似た子が川に沈んでいた」と言われる。アサに事の真偽を問われた寮長が「ここのみんな家族がいなくなったのに アサちゃんだけいるのは間違ってない?」と答える。

 

この出来事がアサのトラウマになった。寮長もまた母親を悪魔に殺されており、家族がいない。「皆が家族になれた」と寮長は言ったが、それは嘘であり本心ではなかった。でなければ寮長が「ここの皆家族がいないのに」とは言わないだろう。寮長が孤児施設の子供たちを家族と思っていないからこそ、一人だけ猫という家族がいるアサを妬んだ。寮長の本心は「私に家族がいないのだからお前に家族もいらない」みたいな感じなのだろう。

 

つまり、アサからすると、寮長は自分に本当の事を隠した。寮長は「私もアサちゃんも他の子たちも家族」と建前で言っておきながら、本音は「お前は私と家族ではない」。自分は嘘をつかれていた。そんな無意識がアサに根付いてしまった。また、自分もまたそんな相手を信用できない。それだから、アサは他人が信用できない。なのにアサは一人でいるのも寂しいから他人に近づき、傷ついてまた一人になる。

 

自己効力感が低いアサ

もしも もしもクラスで誰か一人

屋上から飛び降りなきゃいけなくなって

投票でその一人を決める事になったとしたら

全員が私に入れると思う

 

私も自分に入れる

 

チェンソーマン コミックス 12巻より

 

信じた人に裏切られた。だからアサは自分に自己効力感を持てずにいた。「誰も私を信用しない」「私は信用に足る価値がない」という気持ちがアサの心の奥底にできてしまった。この自己効力感の低さが第二部の水族館のシーンでも顕著だった。

私はデンジと違ってできる人間なんだから...

何か皆に貢献しないと...

 

チェンソーマン 少年ジャンププラス 第114話より

時間の止まった水族館に閉じ込められ、脱出の為に何か自分が役に立たねば...とアサは躍起になっていた。普通に精神が健常な人ならそこまで義務感を感じないはず。普通なら別にそんなに仲良くもない生徒会の人間と閉じ込められて、その皆のために... ! とはならない。やっぱり、自己効力感の低いアサだからその反動だろう。人一倍、他者に認められたい欲求が強いというか。

鎌倉殿の十三人が描く、真っ直ぐすぎる生き方の男の末路

2022年9月11日にNHK総合ほかで鎌倉殿の十三人の第35回「苦い盃」が放送されました。 その内容と感想をまとめました。

 

 

前回、北条時政の娘婿である平賀朝雅が北条正範(時政の息子)を暗殺しました。この人は、京の朝廷に近い存在であり、後鳥羽上皇の目論見に利用された人なのではないでしょうか。つまり、北条への牽制ということです。

 

時政と畠山の争い

この暗殺事件の濡れ衣を着せられたのが畠山重忠の息子です。時政が武蔵の国を奪おうとしていたことも手伝って重忠の闘争心に火が付いたのでしょうか。真っ直ぐな人が損をするシリーズの3人目ですね。義経、(梶原)景時、そして畠山重忠。勇ましく散っていった哀しい人々です。

 

今後気になる人

三浦義村です。北条と畠山が一戦を交えたときにどちらにつくか?と時政に問いただされていました。個人的には北条につきそうですが、他の御家人からは非難されそうです。どうやって周りの御家人に納得させるか、ということまで義村は計算しているのでしょうか。

 

※全て個人の感想です。事実とは異なるのはもちろん、一般的な通説とも異なります。

鎌倉殿の十三人が描く、自己利益優先の人々と共同体の安定を願う人々

2022年8月28日にNHK総合ほかで鎌倉殿の十三人の第33回「」が放送されました。 その内容と感想をまとめました。

 

次の将軍・実朝への代替わりが急ぎ足で進んでいき、

頼家という残務処理に義時が頭を悩ませた、そんな回だったと思いました。

 

実朝と朝廷を結びつかせようとする策略

これは後鳥羽上皇の狙いです。源氏は我が忠臣、のようなことを言ってました。執権職に就いた北条の意のままにされるのを嫌がったのでしょう。

 

また、実衣(北条義時の妹)も実朝の乳母として、実朝が朝廷ゆかりのものに和歌を教えてもらえるように根回しをしていました。この実衣という人は北条の者でありながら、朝廷ともつながりを持ちたいのでしょうか。

 

北条の思惑が二分化

時政と りく は相変わらず自己利益のみを考えているように感じます。ライバルだった比企が滅んだことで、比企とつながりのある頼家も早めに見切りをつけたかったということもあるかもしれません。

 

義時と政子は立場が違うため、それぞれの気持ちは必ずしも一致していないと思いますが、大枠の方向性は共有しているように感じます。つまり、鎌倉の御家人たちや北条家を大事にするということです。

 

  • 義時は、北条が後鳥羽上皇と真っ向から対立することを怖れて、朝廷と繋がっていると思しき頼家を討つという決断を余儀なくされたようでした。

 

  • 政子は、息子たちが鎌倉殿になって翻弄されていくのを心苦しく思っているように感じます。実朝には、向いていそうな和歌を教えるように鎌倉の三善に言いつけていました。しかしこれも後鳥羽上皇や実衣によって邪魔されてしまっています。

 

※全て個人の感想です。事実とは異なるのはもちろん、一般的な通説とも異なります。

鎌倉殿の十三人が描く政治一家の大黒柱の運命

2022年8月14日にNHK総合ほかで鎌倉殿の十三人の第31回「諦めの悪い男」が放送されました。 その内容と感想をまとめました。

 

義時による比企滅亡への策略のオンパレード

比企を滅ぼすために義時が策略に重ねた策略を次から次へと繰り出していました。ついに義時の全盛期がきつつあるように感じます。頼朝を越えるのは頼家じゃなくて義時の方みたいですね。

 

一幡を討ち取ることに決めた義時

義時自身は「頼朝様ならそうしていた(一幡=比企の乳母子の命を取るという選択をした)」と言っているように、義時がついに頼朝と肩を並べるほどの政所を治める力量を有してきたといってもいいのではないでしょうか。

 

比企の動向を探る為の防衛線

義時は妻のせつ(比企の娘)を比企家に常駐させることで、比企家内の動向に目を光らせていたようです。比企が三浦義村を味方につけようと持ち掛けたのを、せつが目撃するシーンがありましたね。

この策略が効いたのが、丸腰で北条家を訪れた比企能員を返り討ちにするシーン。「私を切れば三浦が黙っていない」と、比企能員が最後の頼みの綱と考えていた三浦を北条の味方として登場させ、比企の士気を打ち壊したことも比企滅亡に追い打ちをかけたように感じました。

 

北条家の中にも亀裂の予感

まだ大きくはなっていませんが、争いの火種が生まれなくもなさそうです。

義時 vs 時政

義時の、時政への態度が少し変わってきたように感じています。義時は政子に「父上(時政)に政治ができると思いますか」と半ば不信感を込めて言っていました。

 

子の太郎(泰時)との軋轢?

義時が妻のせつを策略に利用したことに対して、「父上はどうかされています」と不満をあらわにしていた太郎。「そこまでして北条を守りたいのですか」という太郎に対して、義時が「当たり前だ」と檄して吐き捨てていました。一家の棟梁としての凄味が出てきました。そういう意味では、亡き兄・宗時の回想シーンから現在の義時を映すシーンで義時の顔色が変わっていたのも印象的でした。

まだ若い太郎には理解できないということなのか、親子の対立につながるのかは分かりません。この辺りの史実に詳しくないですが。

 

 

今後の注目人物

このコーナー久しぶりな気がします。

八田知家

まあこの人でしょうという感じです。明らかに一匹狼てきな描写が多いので、みんな気になっていると思います。そんなにワクワクしませんけど、何が起こるのでしょうか。

 

 

※全て個人の感想です。事実とは異なるのはもちろん、一般的な通説とも異なります。