菅田将暉のまちがいさがしの歌詞に見る自己欺瞞ということ

菅田将暉の歌に、まちがいさがしという歌がある。

まちがいさがしのテーマは一言でいうと自己欺瞞のことではないか。

自己欺瞞とは、思考に反した行動をとると人は自分を正当化する、という心理のことをいう。

例えば、自分が電車の中でお年寄りに席をゆずろうかと迷ったとする。だけど話しかけられないまま自分の駅に着いた。お年寄りもその駅でおりる。席を譲ろうかと思った時からその電車に乗っている間じゅう人の心はこんな風に思う傾向にある。

「あのお年寄りは座ろうと思えば座れる。あそこの2人掛けの席に相席すればいいんだ。別に自分が席をゆずらなくたっていい」

席をゆずろうと思った自分を裏切り、それに従わなかった自分を正当化する理由を並べ立てる。こういうのが自己欺瞞と言われている。

 

菅田将暉まちがいさがしの歌の中で、次の歌詞は自己欺瞞のことを言っているんじゃないかと思う。

 

まちがいさがしの間違いの方に

生まれてきたような気でいたけど

 

間違いか正解かだなんてどうでもよかった

 

正か悪か、という二項対立てきな思考。これは自己欺瞞の罠になるような気がする。

 

思考の中に正しさという意識があることこそ、間違いを認めようとしていないことを証明するようなものではないのか。生きていく上で、正しくありたいと願う者ほど、間違う、ということが自分という存在を偽ることになるのではないか。その人がもつ正しくあるべきだという考えに反して、自分は間違えた、という現実がある。そうなると自分は間違うなんてことはない、という自己欺瞞が生じないか。

 

たとえ人が間違いを犯したとしても、その人を間違いごと包み込んで受け入れてくれる存在がその人には必要なんだとおもう。それが親であり、親でなければ友人であり恋人なのかもしれない。