ハクと千尋が名前を取り戻した理由

ジブリ映画「千と千尋の神隠し」ではハクと千尋の間の母性愛が描かれていると思う。この映画では、ハクと千尋がそれぞれ自分の名前を湯婆婆に盗られてしまう。最後は2人とも名前を忘れることはなかった。その理由をここでは書いてみたい。

 

ハクは、自分は本当はニギハヤミ・コハクヌシという名前であったことを思い出す。ハクが名前を思い出した理由は、千尋が満身創痍の龍の姿をしたハクを母のように労り、寄り添ってあげたからではなかったのだろうか。

 

また、千尋が「本当の名前を忘れかけていた」と告白するシーンが記憶にある。湯婆婆によってこの世界では千と名乗らされていても、決して千尋という名前を忘れないようにと諭す。ハクがいつも母のように優しく千尋に寄り添っていたから、千尋は湯婆婆の策略に巻き込まれず、名前を忘れなかったのではないか。

 

ハクと千尋は、お互いに母のように寄り添うことで名前を守ることができたのだと思う。

 

一方で、湯婆婆と赤ん坊の「坊」の関係は、「母性が名前を守る」というテーマを逆説的に表していると思う。甘やかせて育ててきたからか、「坊」のご機嫌取りに四苦八苦するシーンが印象に残っている。それは本当の意味での「母性」ではないはずだ。子どもをわがままに育てることは、子どもを守ることではない。「母性」に欠ける母親・湯婆婆が我が子を本当の名前で呼ばず「坊」と呼ぶのも、「母性が名前を守る」というテーマの逆説的な伏線だったのではないかとも思える。