鎌倉殿の13人「帰ってきた義経」異母弟との対立を逆手に奥州藤原氏を滅ぼした頼朝

2022年5月22日にNHK総合ほかで鎌倉殿の13人の第20回が放送されました。 その感想をまとめました。

今回は書きたい事が盛り沢山です。

 

義時と頼朝

概要

  1. 義時は、九朗が頼朝との対立を深めることを望まなかった。
  2. 九朗と頼朝の間を取り持とうとしたが、すでに頼朝は九朗を討つ気だった。
  3. 結局は義時は頼朝の手駒となり、九朗との対立をおぜん立てした。

 

またしても頼朝に振り回される義時

1と2について。前回義時は九朗に対して、藤原氏の平泉に帰れば頼朝と戦になるからやめろと忠告していました。

九朗が平泉に帰ったとの報を知っても、なお義時は九朗を(おそらく生かして)鎌倉に連れ戻すつもりだったように私の眼には移りました。まだ頼朝との仲が何とかなると信じていたのでしょうか。義時に九朗を連れ戻すと言われた当の頼朝は、九朗の首を取って(生かさず)連れてこいと言っていました。この辺は義時の甘さが未だに目立つ描かれ方だと思いました。

 

しかし、そう考えると3の義時の行動はどっちなんだ?と思いました。つまり九朗を生きて連れ戻すつもりだったのに、頼朝にすごんでしまったのですかね。冷徹の判断を下す頼朝に逆らわないというスタイルを身に付けたということかもしれません。その九朗と頼朝の対立を義時がいかにして深めたかを次に書きます。

 

義時と九朗(義経

九朗の討伐については、義時の失敗と成功が半々で描かれている感じでした。

九朗に対して頼朝への対抗心をあおった

これは失敗です。九朗には魂胆が見透かされていました。人を信じすぎると義時自身がアドバイスを送った九朗に、です。具体的には妾の静御前を北条がとらえ、静御前との間にできた赤子を由比ガ浜に流したことへの怒りをあおろうとしましたが、九朗は「静御前らしい。彼女は威厳を保ったのだ」という思いだけだったと思います。

奥州藤原氏の泰衡(秀衡の息子)に九朗の挙兵を止めさせる構図を作った

これは成功でした。九朗が鎌倉へ挙兵することに泰衡を対抗させるという頼朝の読みどおりに着実に事を進めました。泰衡には、身内ではない九朗を父が生前大将軍に任じたことへの不満もあったと思います。

 

九朗(義経)と頼朝

九朗が頼朝と対立を深めた要因が今回で何となく掴めた気がします。それは大体以下の2つだと思っています。

  1. 頼朝への恨みの情
  2. 性格上、頼朝とは馬が合わない

比企が九朗の頼朝への恨みの情を焚きつけた

1については、比企が一役買っています。特に比企尼の娘、九朗の正室・郷御前です。九朗が京で検非違使をやっていた時、土佐ノ坊昌俊に九朗を襲撃させたのが郷御前だったのですが、そうとは知らず九朗は頼朝が鎌倉から仕向けた刺客だと思っていたと思います。凱旋のつもりが鎌倉入りを拒否されたこともあり、頼朝に対して恨みに近い情もあったのではないでしょうか。

 

まっすぐでシンプルな世界を好む勝負師・義経

頼朝への恨みの情はさておいても、性格上この2人は合わなかったのだと思います。今回、頼朝は自分の手を汚さず奥州藤原氏を利用して九朗を討とうとしました。それを嫌って九朗は、真向から泰衡に対峙しました。義時が静御前の顛末を利用した策略を巡らしていたことに気付いていながら、あえて気付かないふりをしてまで、まっすぐさを通したのだと思います。源氏による政治という悲願の為に、汚い手ででも計略を巡らせる頼朝とは性格上合わなかったのではないでしょうか。

 

今後の展開において人物像が楽しみな人

  1. 梶原景時
  2. 大姫
  3. 比企

 

梶原景時・・・下人の善児を平泉まで義時と同行させていたのは何か狙いがあるのか気になります。義時や安達盛長など親頼朝派の従者たちは、今のところ頼朝の手駒です。ドラマの最初の方から、梶原景時は一匹狼のようなところを感じます。どうなるんでしょうか。

 

大姫・・・静御前の子、つまり九朗の後継ぎが殺されないようにと願っていました。木曽義仲の嫡男・義高が殺されたことを憂慮しているからです。どちらかというと、大姫も九朗のような心がまっすぐな人です。九朗はそのまっすぐさがゆえ亡くなりましたが、大姫はどうなるんでしょうか。

 

比企・・・まがりなりにも源氏側の静御前(九朗の妾)を責めるなど、静御前を庇護していた北条とは対立する構造でした。首を取ったといえ頼朝が亡き九朗の肩をもって、比企を敵視することはないんでしょうか。御台所も権力強いですから。