鎌倉殿の13人「果たせぬ凱旋」 有力御家人と源義経の折衝力の差

2022年5月15日にNHK総合ほかで鎌倉殿の13人の第19回が放送されました。 その感想をまとめました。

院御所で絶対権力を振るう、後白河法皇の思惑に翻弄された義経が中心に描かれていました。

  • 法皇様(後白河法皇)は、力を増す頼朝一人に権力を集中することを危惧し、武力では右に出る者がいない義経を対抗馬として利用した。

 

  • 義経は、頼朝を信じるべきではないと諭すおじの源行家や、要職に任官されるなど法皇様にもてはやされることを結果的には鵜吞みにしすぎた。

 

 

前回の感想の記事で、源氏と法皇方との関係がストーリーに今後どう絡んでくるか楽しみだと書きました。今回、後白河法皇の画策が明るみに描かれていました。法皇方にとっては、世の安寧が最優先であるという思惑ではないでしょうか。そのためには義経を利用することも辞さなかったのだと思います。

 

平和な世の中という法皇方の思いと同じ思いを北条義時も抱いていたのでは、と感じました。九州に逃れた義経追討の宣旨を受けた北条時政・義時のもとに失踪中の義経が現れ、義経が奥州に戻る意を明かした時に「おやめになるべきかと。戻れば必ず鎌倉殿と戦になります。戦はもういいでしょう」と主張していたからです。頼朝との対立をこれ以上避けたいという思いもあったかもしれませんが、俯瞰すれば法皇方の「世の安寧」という軸と、「無用な戦を避けたい」という義時の軸が合っているとも考えられないでしょうか。

 

そして北条家が次第に力をつけていく姿も印象的に描かれました。頼朝と法皇様の橋渡し役を命ぜられた時政が、義時と共に訪れた院御所で「日本一の大天狗」と頼朝が法皇様のことを称して100%信用しているわけではないと釘を刺していました。たしかそれで頼朝側の思惑に従わせたようなシーンでしたよね。詳しい内容はちょっと覚えていませんが。ともかく先にも触れたように有力御家人たちの折衝力が上がっていく様も見ていて面白いポイントです。

 

また、ピンと来なかった部分もあります。今回の放送の最後に、「戦のない世でどのように生きればいいのか」と自問した義経に義時が「戦であれほどの奇策を立て武功をあげた方ならどこでも生きていける」という言葉をかけたやりとりがありました。現代で言う「専門職のスキルが専門外で通じない」という問題点に通ずるとかでしょうか?そうだとすると義時の「どこでも生きていける」というのは論理的におかしい気もします。まだこの辺は義時の考えの甘さみたいなのが描かれているのでしょうか。義時の変わっていく様は今後もずっと注目したいです。