Google Map

Google Mapで360度立体写真にして、昔住んでいた場所を表示してみた。退職後に、1ヶ月程度住んでいたところだ。働きもせず、ただ夢という覆面をかぶった何かをフラフラと探していた。
なぜか、そこに住んでいた記憶にはモワッとした印象が残っている。当時は夏だったのでその熱気のせいかもしれない。物理的なモワッと感だけではなく白昼夢のような、そんな感覚。

今になってこうして見ると、Google Mapで見たはじめの瞬間には懐かしい感覚があったのだが、しばらくすると目に移る景色の現実感が高まっていった。住んでいたアパートの前に普通にチャリを漕いでいる若い兄ちゃんがいる。当たり前である。私が住まなくなったからといってその若い兄ちゃんはそこから立ち去る訳ではない。

2、3回ほど利用しただけのほっかほっか亭は何の変化もなくそこにあった。多分20年くらいは変わってないんじゃないか。私が住んでいたのは2、3年前。

駅前にはマクドナルドが普通にまだ存在していた。私がそこに存在しなくなろうと、世界的大企業の店舗は簡単には潰れない。私が死のうと、地球はなんら変わらず存在するのと同じである。よく通った駅までの道にはおじいさんが歩いていて、最近たまに見る、先端が三叉になっていて安定するタイプの杖をついていた。

その町は何も変わっていなかった。周りに写り込んでいる人々の服が冬服であること以外は何も変わっていない。当然か。たぶん当時も現実感はあったのだろうけど、記憶にはいろいろな感情や思いが混ざって現実とは異質のものとして存在しているんだろうか。

2回くらい使用した町の銭湯は、看板の謳い文句から開業当時の時代の古さを感じた。

一日の疲れをいやす
クリニックバス

その銭湯にとってお風呂とはクリニックなのである。湯治である。江戸時代か。クリニックバスと言ってのけるセンスがすごい。

もうひとつ。

熱が 光が ミクロの風が
人間乾燥室

人間乾燥室という字面はやばい。人間を乾燥させる。干ししいたけのノリである。この看板の隣にはサウナの謳い文句もあったから、人間乾燥室はサウナとはまた別なのか?だとしたらマジで人間を乾燥させる部屋なのか。人体実験みたいだな。あとミクロって。「ミクロの」という表現の現在での使わなさ。「ミクロの」の次に来るべき正解の単語が頭の中の辞書に入っていない。ミクロのビキニ、ミクロのクロワッサン、ミクロのコロナウイルス。どれも違う。あ、一つ正解を発見した。ミクロの世界。至ってフツー。